5月11日(土)、午前3時起床。
ホテルをチェックアウトしてアウシュヴィッツ強制収容所へ
4:21、クラクフ本駅発・オシフィエンチム(Oswiencim)行きの電車に乗車。
6:40、オシフィエンチム駅着。
アウシュヴィッツ(Auschwitz)はオシフィエンチムのドイツ語名である。
事前に調べた情報によると、クラクフからオシフィエンチムまではバスの方が
便利なようだが、朝早いバスがあるかどうかわからなかったので電車を使用した。
40分以上待った後、オシフィエンチム駅から路線バスに乗り「Museum」(博物館)で下車。
・のはずが、あろうことか運転手にバス停をスルーされてしまった。
ボタンは押してたし、乗る前に運転手に対して「俺は博物館に行きたい」という
意思表示までしたにも関わらずである。(「Museum」って言っただけだが。)
幸いそう遠くないところで下ろしてもらえたが、全くもって信じられない。
・「Museum」のバス停は収容所の目の前にあるわけではなく、目印になるような
案内標識もない。バス停の前にある売店のおばちゃんに聞いてみてようやく
博物館までの行き方がわかった。「Museum」という名のバス停から
博物館までの行き方が直感的にわかるようになっていないのはちょっと困る。
・オシフィエンチム駅から博物館までは20分くらい歩けば徒歩でも
行けるらしいが、道がさっぱりわからなかったのでバスを待った。
アウシュヴィッツは午前8時から見学可能。
早起きした甲斐あり、狙い通り8時前に到着することに成功した。
―午前8時、いよいよ中へ。入場は無料。
アウシュヴィッツ強制収容所。
「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)の標語が掲げられた正門を潜る。
Bの文字が逆さまに見える。
これはこの門を作らされた受刑者の抵抗の表れであると言われている。
敷地内に並ぶ煉瓦造りの収容所。
ここで150万人以上もの人間が虐殺されたという。
チクロンB。受刑者の虐殺に使われた毒ガス。
山積みになったチクロンBの空き缶。
そして、隣の部屋の展示物に思わず絶句した。
人毛。
ガラス窓の反対側におびただしい量の人毛がうず高く積もっている。
人毛で作られた布地。
一見麻布のような色の生地だが、端の方をよく見ると、それが人間の毛であることがわかる。
毒ガス、強制労働、その他ありとあらゆる手段で大量の人間を虐殺した
ばかりか、そこから髪の毛を取り出して布地を織っていたわけである。
狂ってるとしか言いようがない。
殺害された人々の靴。
小さい子供靴が集まった一角を見ると一層胸が痛む。
受刑者の劣悪な住環境。一つの穴に4-5人が寝ていたという。
衛生管理などもちろんあるわけがなく、収容所内では伝染病が蔓延した。
通称「死の壁」。受刑者をこの壁の前に立たせて銃殺した。
集団絞首台。
ガス室・焼却炉。
ガス室。
受刑者たちはシャワーを浴びさせると言われてこの部屋に入れられたという。
およそ2時間ほどでアウシュヴィッツ収容所を一通り見て回り、
ビルケナウ(第二アウシュヴィッツ)に向かう。
アウシュヴィッツ収容所の入口から30分~1時間間隔で
ビルケナウとの間を往復するシャトルバスが出ている。
一番最初の便=10時半発のシャトルでビルケナウへ。
―ほんの数分で到着。
ビルケナウ強制収容所。
ビルケナウの敷地はアウシュヴィッツよりも遥かにだだっ広い。
ここはアウシュヴィッツのように詳しい展示があるわけではなさそうだ。
時刻は10時40分。正午にここを出ようとすると
全部を見て回る時間はないので、かなり掻い摘んで回ることにする。
バラック小屋。
ガス室・焼却炉の跡。
ビルケナウのガス室は破壊されていた。
人間の灰が捨てられた池。
ここから長い距離を歩いて入口に戻り、アウシュヴィッツ収容所行きのシャトルに乗る。
次は12時発のはずだが、なぜか11時45分くらいに出た。
収容所からMuseumのバス停まで歩き、路線バスでオシフィエンチム駅へ。
オシフィエンチムから電車でクラクフに戻る。